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フォークダンスDE成子坂の現在は二人共死去!松本、爆問との意外な関係もあきらかに!

フォークダンスde成子坂アイキャッチ

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いまや知る人ぞしる伝説のコンビフォークダンスDE成子坂。

90年代に活躍した圧倒的なセンスを持ち合わせた芸人でした。

現在でもその才能を称賛する声が後を絶ちません。

ボキャブラ世代ではお馴染みの超実力派コンビでしたが、現在は残念ながらお二人共早逝しておられます。

 

そこで気になるのはなぜ早逝にいたってしまったのか?

また、松本人志さんや爆笑問題さんとの関係はどうだったかを調べてみました!

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フォークダンスDE成子坂は現在どうしてる?

フォークダンスDE成子坂(フォークダンス デ なるこざか)は、かつてホリプロで活動していた桶田敬太郎村田渚で構成されていたお笑いコンビです。

結成は1989年。

1999年12月31日に解散しました。

現在は共に逝去しております。それぞれ解散から逝去にいたった経緯をご紹介させていただきます。

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桶田敬太郎さんの逝去にいたるまで

桶田敬太郎さんは1999年12月、自らの音楽活動に専念するため、フォークダンスDE成子坂を解散し、バンド『The 3cm〜』のボーカルTaroとして活動を開始。

活動初期メンバーとして、金谷ヒデユキさんやコアラ(元アニマル梯団)さんも在籍していたようです。

2004年より、放送作家・構成作家として活躍されるようになり、その延長として新規ビジネスモデルやコンテンツアイデアの企画など、幅広いエンタテインメントを対象に、企画・構成・演出を行うほか、自身の日常・生活・趣味を活かしたライター業なども行っていました。

2014年には、新ネタを自らのYouTubeチャンネルに公開していました。

2016年末より、自身のブログにてポッドキャスト配信を始め、「周りの印象的には上昇期での”突然な水面下での解散”となっている変な名前のコンビ名、フォークダンスDE成子坂というお笑いコンビが解散に至った経緯…」を語っている。

そして、2019年11月23日死去。48歳という若さでした。

なくなる10年前から大腸がんを患っており、一度治療により完治したものの2017年頃に再発していたようです。

死去においては生前本人が家族に「俺が死んでも誰にも言うな」という遺言を遺していたことから、死去直後は公表せず、一部関係者のみに知らされたようです。

当初、病名は公表されていなかったが、『ボキャブラ天国』等で共演経験がある爆笑問題の太田光が、訃報から6日後の2020年3月4日放送のTBSラジオ『爆笑問題カーボーイ』内で村田死去後に暫くしてから癌を患っていたことを明かした。この放送内で、先に他界した相方の村田についても触れ、桶田は結婚して息子がいる事も明かした。また、コンビ時代から親交のあった元TBSアナウンサーの浦口直樹によると亡くなる10年前に大腸癌を患っており、一度治療により完治したものの2017年頃に癌が再発していたという

※引用出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

村田渚さんの逝去にいたるまで

村田渚さんは、1999年「フォークダンスDE成子坂」解散後、ホリプロを離れ、フリーのピン芸人として活動を開始。

しばらくフリーで活動した後、2002年から約1年ほどオフィス★怪人社と業務提携をしてその後、ホリプロ系列会社であるホリプロコムに戻るも、2005年3月31日付で再び契約解消となってしまいました。

同年5月、元坂道コロンブスの松丘慎吾と新コンビ「鼻エンジン」を結成し、ソニー・ミュージックアーティスツに所属。

結成から程なくしてM-1グランプリ2005に出場し準決勝まで勝ち残りました。

翌年のM-1グランプリ2006でも3回戦まで勝ち進みました。

2006年11月12日東京都品川区の自宅マンションで倒れていた所を芸人仲間のコトブキツカサによって発見されましたが発見時、既に息を引き取っていたよう。

所属事務所によると、数日前より松丘など周囲に頭痛などの体調不良を訴えていたとのこと。

検死により11日未明にクモ膜下出血のため急死していた事が判明。35歳没。

 当時の相方の松丘や元相方の桶田をはじめとした、多くのお笑い芸人や放送作家がその死を惜しみ、関係者らによる追悼記事が次々と寄せられました。

生涯最後の出演は2006年12月15日(16日午前0時より)の爆笑オンエアバトル。

番組の最初と最後のテロップで「鼻エンジンの村田渚さんは11月11日に亡くなられました ご冥福をお祈りします」と表示されました。収録時は出場10組のうち7位とオンエアを勝ち取ることは出来ず、遺族との相談の結果、本来のルール通り放送には至りませんでした。

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フォークダンスDE成子坂と松本人志、爆笑問題との関係は?

結成当時からその実力から「天才」と称される事が多かったコンビですが、お笑い界の大御所松本人志さんや爆笑問題さんとの交流はどうだったのでしょうか?

フォークダンスDE成子坂と松本人志さんの関係

フォークダンスDE成子坂と松本人志さん(ダウンタウン)さんについては共演の記録はなく、松本さんからもSNSやメディアで特にフォークダンスDE成子坂について言及されるコメント等はありませんでした。

フォークダンスDE成子坂お二人の逝去についても特にコメント等はありませんでしたが、ここまで存在感があったコンビですから当然意識はされていたと思います!

私が記憶に鮮明に残っているのは『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系・1991年12月~1997年11月終了)の「Mr. BATER」のコント中、松本が「……フォークダンスDE成子坂」と脈絡なくボケ。

「Mr. BATER」は松本人志と今田耕司の即興コントでしたのでそこでのボケで「……フォークダンスDE成子坂」と発言が出たのは当然意識があった証拠といえるでしょう。

私もフォークダンスDE成子坂のコントを初めて見たときは松本人志さんやダウンタウンの影響を強く受けているように感じましたので、松本さんも当然意識はされていたのではないでしょうか!?

フォークダンスDE成子坂と爆笑問題の関係

フォークダンスDE成子坂と爆笑問題さんについてはボキャブラ世代ということもあり共演も親交も深かったようです。

以下にエピソードをまとめました!

 

1990年7月には、コンビ名を『フォークダンスDE成子坂』と改め、1991年3月には地上波デビューを果たす。シュールな芸風で人気を博し、第14回 高田文夫杯争奪 OWARAIゴールドラッシュにて優勝したほか、テレビ朝日系『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』で第2代チャンピオンになるなど、同コンビで参加したお笑い関係の賞レースにて、多くのタイトルを勝ちとる。相方である村田をはじめ、あらゆる芸人から「天才」と呼ばれ、爆笑問題の太田光は「あいつは天才過ぎて売れなかった」と評した。

※引用:Wikipedia

 

また、桶田さんの訃報から6日後の2020年3月4日放送のTBSラジオ『爆笑問題カーボーイ』内で村田さん死去しばらくしてから癌を患っていたことを明かにする場面もありました。

この放送内で、先に他界した相方の村田についても触れ、桶田は結婚して息子がいる事も話され、爆笑問題とフォークダンスde成子坂の親交が深く爆笑問題さんからも才能が評価されていた事がうかがいしれますね。

 

まとめ

フォークダンスdeなるこ坂さんの現在は、お二人共残念ながらお二人共早逝されていました。

また、松本人志さんとの直接的な関係やメディアでの発言は見当たりませんでしたが、意識はされていたように伺いしれます。

爆笑問題さんとは同じボキャブラ世代ということもあり、親交は深くまた太田光さんもフォークダンスde成子坂の才能は絶賛されていました!

才能があるコンビだけに、本当に残念です。

いま、フォークダンスde成子坂が活動していたら『キングオブコント』でも優勝していたかもしれませんね…。

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